無所属の細野豪志元環境相(衆院議員)が自民党二階派(志帥会)に入るとの報道は、多くの国民にとってニュースというより、ああ、また政治家の身勝手な話じゃないの、別にテレビとかでやらなくていいのに、とあきれさせられる出来事でした。

出典元:AERA dot. 「弱み」につけ込まれた? 細野豪志氏「自民党二階派」入りの内幕

細野氏の関係者の中には、同情する向きもあったかもしれませんが、果たしてそれは必要なのでしょうか。

自民党が細野氏を迎え入れる理由として、憲法改正のために一票でも多く賛成票を上積みしたい思惑がある、すなわち一兵卒として必要との意見もありますが、効果はあるのでしょうか。

 

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節操のない政治家、細野豪志に同情する必要はない

かつて「民主党のホープ」と呼ばれた細野豪志衆院議員が、自民党二階派入りしました。

これにはさすがに「節操がない」との声が、あちらこちらから上がっています。

そもそも細野氏自身「自民党議員」をずっと望んでいたという説もあります。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか。

細野氏は、民主党政権時代に環境相を務め、野党転落後も党幹事長や後継政党である民進党の代表代行を歴任しました。

そして、2017年に民進党を離党し、東京都の小池百合子知事らと希望の党を結成しました。

同年10月の総選挙直前に、民進党代表に就任した前原誠司氏が「何が何でも安倍政権を倒す」と宣言し、党内分裂の引き金になった「荒業」が希望の党への合流でした。

それは、結果的に立憲民主党というリベラル政党の結成を促し、衆院選は大惨敗に終わりました。

細野氏や前原氏らが主導した、強引で無謀な行動の背景には、「野党の左傾化」による孤立という強いストレスがあったと言われています。

おかげで民進党はバラバラに離散、現在に至っています。

結局、細野氏が迷走を続けた末に、とうとう自民党に走ったのは、自民党に入りたくても入れなかった「新党保守派」の自身の立場を捨てた、と言えるかもしれません。

細野氏の政界入りには、母校京大の先輩である前原氏が関わっています。

そもそも、細野氏を政界に引っ張った前原氏自身が、保守派論客として知られています。

しかし、前原氏の政界入りも、実は自民党からの立候補がかなわなかったため、細川護煕元首相が立ち上げた日本新党から出馬したという経緯があったということですから、前原氏も、ともすれば自民党からという思いがあったわけです。

考えてみると、プロ野球で言えば自民党は巨人みたいなもの、政治を目指す人であれば、国政を行うなら一番人気の自民党でやりたい、と目標にすることはよくあるパターンかもしれません。

とはいえ、他球団から憧れの巨人へ運良く移籍できたとしても、成功する例はほんのひと握り、政治の自民党もそういう場所のような気がします。

細野氏に同情する場面があるとすれば、自民党に入った後に獅子奮迅したとしても結果が出せない姿を見たとき、でしょうかね。

今のところ、同情する余地は見当たりません。

 

自民党のメリット、憲法改正の一兵卒として必要か

細野氏は、18年5月に希望の党と民進党で結党した国民民主党には参加せず、無所属となっていました。

その経歴から、細野氏の「事実上の自民党入り」「節操がない」と厳しく批判されています。

また、「来るもの拒まず」のスタンスで自民党議員でない人を「特別会員」にして、次の選挙で当選すれば自民党議員に鞍替えさせる手法で勢力を拡大してきた二階派に対しても、党内から反発が集まっています。

17年12月の衆議院議員選挙で、細野氏は小池百合子都知事が急造した「希望の党」の番頭に納まっていました。

そこで、少し前までは仲間の、迷走する民進党議員に「『安保法制と憲法』で踏み絵を踏ませる」という不遜な役回りを演じていたのです。

そのわずか2年前には、民主党政調会長として「安保法制大反対」の中心にいたのに、です。

細野氏は、民主党が泥舟だと分かると、仲間に内緒でいち早く逃げ出し、静岡県知事に転身を試みるも途中で投げ出しました。

次に小池氏の手先となって、かつての仲間の品定めをする、彼の行動は傍から見るとそんな印象です。

そんな細野氏を、二階派が迎える理由の1つは選挙区事情にあると言われています。

細野氏の選挙区は静岡5区、20年近く前、ここから出た細野氏は、選挙にはとにかく強く、自民党は毎度完敗してきました。

自民党関係者は、

「一票要員だよ。憲法改正のために1人でも多く確保する必要がある」

と話しています。

憲法改正のための一兵卒として、細野氏を迎え入れる自民党、反対にリスクも大きいような気がします。

 

自民党ではなく、派閥のために働かされるのがオチ

細野氏が、発言や立場をたびたび変える姿勢は、関係者の間では有名です。

細野氏を古くから知る後援会の関係者は、民主党政権下で遭遇した11年の東日本大震災以降、細野氏の権力志向は強まったと語ります。

「首相補佐官という立場で原発事故に遭遇し、政権を握らなければ政治は動かせない現実を思い知ったのだと思います。

下野してもマインドは与党のままでした」

ひと度、与党になった民主党時代、細野氏は天狗になったということでしょうか。

与党の味をしめた、強い与党が自分は好き、野党ではやってられない、みたいな感じでしょうね。

細野氏は党内改革ではなく、野党共闘によって安倍政治と対峙する路線を強める執行部と対立しました。

14年に発表した「わが民主党改革宣言」の論文の中で、民主党の弱点を「党内ガバナンスの欠如」とし、「いざという時にまとまる人間関係を自民党から学んで良い」自民党を引き合いに執行部を批判したりもしました。

細野氏の与党マインドと野党内で失った居場所。

この弱みにつけ込んだのが自民党の二階氏だった、そして、それに乗っかった、ということでしょうか。

二階氏が当然予想された反発をかえりみず、細野氏を迎え入れた意図を、ある自民党議員は、

「次の総裁を自らの派閥から誕生させたい思いが二階氏にはある。

だから、来る者拒まずの姿勢で懐の深い印象を世間に与えたい。

とはいえ、おそらく細野氏の政治手腕そのものに二階氏の関心はない。

自民党ではなく、派閥のために仕事をさせられる細野氏は、統一地方選、参議院選挙を通じて、それ相応の『踏み絵』を踏まされる。

次の自らの選挙で自民党の公認がもらえなければ、細野氏の政治生命は絶たれるだろう」

出典元:AERA dot. 「弱み」につけ込まれた? 細野豪志氏「自民党二階派」入りの内幕

と語っています。

細野氏は与党に入ったつもりでも、結局は自民党のためではなく派閥のために働かされるのがオチ、ということでしょうか。

細野氏は静岡5区以外での活動は全く考えていないとし、5区を離れるときは政治家をやめると明言しています。

本人としては自信満々の静岡5区ですが、5区の住民の方々の気持ちはどうでしょうか。

人間ですから心変わりもすれば、選挙に行かないという選択肢もあります。

新しく誠実な政治家が出てくれば、節操のない人の居場所はなくなるでしょう。

自分の気持ちをひとつに決められない人に、国政を任せることなどできないと思う次第です。